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オーナー 笹生 新

レストラン栗の里は、各店舗で提供するサービスが全て異なります。
サイト内の価格は全て税抜表記になっております。

レストラン栗の里オーナー 笹生新(さそう しん)とは

厚木市長へ、つるバラ日本一報告時の笹生(左)

つるバラ日本一報告時の笹生(左)

現在は、レストラン栗の里3代目オーナーの傍ら、併設される「神奈川のバラの名所」の仲間入りを果たした100種600株のバラが植栽されるローズガーデンの維持管理もこなし、《つるバラの貴公子》として、厚木市とのタイアップで、相模川ローズガーデンアドバイザーにも着任し、地域ボランティアさんへの助言役も努めている。そんな人間「笹生新(サソウ シン)」が思い描くレストランの形に着目してみました。

何故、レストランだったのか

オーナー就任時の笹生

オーナー就任時の笹生

私が小さい頃、レストランは特別な場所でした。いつも決まって父親に連れていってもらったのは街の定食屋だったからです。レストランにはなかなか連れて行ってもらえませんでした。

特に覚えているのは、中学生のとき。素敵な思い出として記憶しています。私がレストランを経営しているのも、この記憶があるからです。私がレストラン栗の里のオーナーに就任したのは、10年前。200年近く続く米農家の長男。モットーは「常に感動、日々前進」。

高校卒業後、宅配業などを経て、家業を継ぐことを意識するようになった。決断前にバッグ1つでアジアを1カ月間放浪し、「経営者は大きな決断を迫られることがある」そんなときに対応できるのか、自分を試す旅に出ました。

「言葉が通じないので、移動するのも想像以上に大変だった」ことを記憶しています。その経験があるからこそ、どんなときも「あのときよりは辛くない。他の方法を考えればよい」とポジティブに考えられるようになりました。

何故ハンバーグ・ステーキだったのか

当時、提供していた米沢牛のイメージ

当時、提供していた米沢牛のイメージ

上記にも記述されておりますが、元々は、チキンのバーベキュースタイルで経営がスタートしていて、その後、レストラン形式に業態変更をした時に、当時、日本に入ってきていた「ハンバーグ」を選定し、地域の洋食屋さんを目指したのが、私の父親の代でした。

だから、自分自身が経営を継ぐ時も「ハンバーグ」は、代名詞になっていたので、色を継承し、新たな食の提供ということで、「ステーキ」を始めました。それも、当時では、珍しかった「米沢牛」を厚木の地で食べてもらいたい一心で、米沢牛の市場に通い、小規模事業所では、中々卸して頂けない所を持ち前の行動力で打破し、当時、厚木で唯一の米沢牛正規取扱店として、新境地に足を踏み込みました。

父親の代から比べると、客単価も1000円以上アップし、お客様の獲得に苦労した過去もありますが、付属するサービスも徐々に上げ、バラや手廻しオルガン等、付加価値を高めたその他のサービスと合わせて、私が自分自身の目で見た最高な素材をお客様に提供していきますので、よろしくお願いします。

何故、お米だったのか

過去に実施した「稲刈り体験」の様子

過去に実施した「稲刈り体験」の様子

200年以上続く、米農家の長男として誕生した時点で、運命は決まっていたのかもしれませんね。

お米とは、物心ついたときから、5月の田植え~10月の稲刈りまで、父親の姿をずっとみてきました。厚木の地で、上質な水で有名な「中津川流域の水」を使い、キヌヒカリというコシヒカリ系列の米を苗から育てていました。

当時は、たくさん収獲しても余ってしまい、仕方なく、畑の肥やしにしていたことを考えると「もったいないことをしていた」と、今でも感じています。

そんな中、「美味しいお米を皆さんに食べてもらいたい」という祖父と祖母の思いが込められて、お店がスタートし、47年。お替り自由のスタイルは、現在でも続け、米の販売を実施することで、地域の米販売所としての役割も果たさせて頂いております。

何故、バラだったのか

神奈川県唯一のバラのライトアップスポット

神奈川県唯一のバラのライトアップスポット

私が、父親からレストランを引き継ぎ、運営を開始して間もなく、妻との間に、新しい命を授かりました。待望の吉報でしたので、大喜びで、お客様からも「何か良いことがあったのですか?」と聞かれるくらい、毎日、にやけ顔でした。また、父親として、オーナーとして、責任の重さを日に日に実感し、より一層、仕事に励みました。

その頃は、当時では珍しかった“米沢牛”の提供開始、お米のネット販売等、2代目でもある“笹生一”と初代でもある“笹生利光・トシ子”が築き上げてきた歴史を崩さずに、自分の色を出していた最中で、更にお客様に喜んでもらえるようなサービスを追及し、“次なる一手”を模索していました。

そんな時、妻の両親のある一言に、自分の潜在的な、スイッチが入りましたね。

「バラでも植えてみたら・・・」

1969年、「バーベキュー栗の里」としてオープンし、周辺が栗林だったことが店の由来にもなっている。その後、レストランへの業態変更に伴い、店もドイツ山小屋風に改装し、レンガづくりに内外装したのに合わせ、庭もレンガ敷きにし、飲食スペースとして開放していた。

「これだ!!」と確信しました。

一般的に育てるのが難しいとされる“バラ”で、お庭をいっぱいにして、“愛する妻と我が子”を出迎えようと必死になりましたね(笑)植物や花に興味があったわけでもないのに、バラの知識もさることながら、そもそものガーデニングという言葉すら、後覚えだったので、上手く育てられるはずもなく、最初に購入した10鉢のバラを枯らしてしまったのです。

納得いきませんでしたね・・・

本に書いてあるとおりに、育てたはずなのに、愛情を注ぎ込んだはずなのに、バラは、応えてくれませんでした。

また、お客様もバラが香るお庭で、お出迎えしたいと考えていましたが、栽培が難しいという概念があるバラを活用したお店作りには、「レストランの庭をバラ園にするのは非常識だ」等、厳しい声が圧倒的だったことは鮮明に覚えています。

でも、あきらめませんでした。

妻と我が子が喜べば、きっと、お客様の中にも共感して下さる方がいらっしゃる・・・そう思っていました・・・順調と思われていた我が子が、原因不明の病で、突然、この世を去るまでは・・・8ヶ月目でした・・・

「何故だ!!」と、何度も、何度も、何度も考え、悲しみました。おそらく、この時期は、お客様からも「何かあったのかしら?」と思われる暗い顔をしていたと思います。

何をやっても身が入らない毎日が続き、もはや、生きていく希望を失いかけていました。

そんなある日、その出来事と同時に時間が止まってしまい、中途半端になっていたバラを眺めながら、「我が子と妻を“バラいっぱい”のお庭で出迎えるために始めたことだから、《レストランの庭をバラ園にするのは非常識だ》という声もあるので、綺麗さっぱりに元通りのお庭に戻してしまおう」と。

お庭に出て、いざ“バラ”を整理しようと・・・心に決めたのに・・・

“できませんでした”

愛する“我が子”を想い、愛する“我が子”のために育ててきたバラを整理するなんて・・できませんでした・・・

今思えば、きっと、我が子が「パパしっかりして、自分はここにいるよ」と心に囁いてくれていたのだろうと思っています。

「やるしかない」

“我が子”の存在意義を見出すのだと。

そう決断し、自分自身を奮い立たせ、失敗の連続が続くも、あきらめませんでした。

バラに触れることで、我が子に触れているような気がしたから。

何故、オルゴール・手廻しオルガンだったのか

子どもでも楽しめるオルゴール館の様子

子どもでも楽しめるオルゴール館の様子

47年前に、バーベーキュー形式の飲食店としてオープンし、その後、レストランへの業態変更に伴い、ドイツ山小屋風の店舗内外装に仕立てたこともあり、また、ローズガーデンにも力を入れ始めていた時期だったので、当時(約250年前)、ドイツやオランダ等の道端や広場、花園等の出入り口付近で、お金稼ぎの道具として活躍していた「手廻しオルガン」を手に入れることができれば、バラが咲くシーズンに、人が集まるスペースとしての役割を果たす「ローズガーデン」内で、レトロな空気の音色を届け、手廻しオルガンの原点回帰へと繋がるし、同様楽器のオルゴールもコレクションできれば、他店との差別化になると考えたからです。

元々、レストラン栗の里店内では、私の父親の代の時に、ジャズの生演奏を実施していたこともあり、音のサービスの提供は必要だと感じていました。BGMとは違ったレトロな空気の音を奏でる手廻しオルガンと心地よい金属音を奏でるオルゴールでのサービスを展開し、古き良き物を感じて頂ければ幸いです。

何故、バルーンだったのか

バルーンで作ったバラの花束

バルーンで作ったバラの花束

取り組み始めた当初は、社長から、「遊んでいる暇があるのなら、仕事しろ」と言われたのをよく記憶しています。

それもそうですよね。レストランの従業員が、風船をひねっていれば、他者から見たら、「ただの遊び」なのかもしれません。しかしながら、手廻しオルガンの取り組みを開始して以来、お子様連れのお客様に多くご来店頂けるようになっていたので、誰から何と言われても、遊び心の火を灯し続ける気でいました。

自分で作成してみると、楽しくて、お客様の目の前で作ることで、コミュニケーションを深めることに成功したのです。普通に料理で感動を提供することもできるが、目の前でバルーンのオーダーを聞いて、作り上げてプレゼントすることで感動を提供することもできる。

感動を与えるという枠の中では、食もそれ以外のサービスも同じことなのではないかと私は思っています。現在は、そのポジションは、企画広報部長に昇格させた「宮脇」に譲っていますが、今でもバルーンハットを作らせれば一級品なんですよ。

何故、オート三輪だったのか

東洋工業(現マツダ)時代のオート三輪

東洋工業(現マツダ)時代のオート三輪

オーナー就任以来、バラや手廻しオルガン等、女性が好むキーワードをお店に活用してきましたが、その女性を運転手として連れてきてくれるのは、ほぼ、ご主人で、飲食する以外は、コミュニケーション不足に陥っている光景をよく見かけました。

そこで、若い時に、車屋で働いていたことを思い出し、男性ならば車好きが多いかもしれないと考え、オルゴール・手廻しオルガン等、古き良き時代の物を伝える事業も軌道に乗っていたので、「レトロカー」を展示することで、「懐かしい」というご主人とのコミュニケーションの創出を目指した。「レトロカー」と言っても、現存しているものは、ほとんどなく、情報を収集しては、地方に「レトロカー」目指して、小旅行をする日が続き、ようやく発掘したのが「オート三輪」でした。当時は、働く車の代表格として、見ない日はなかったようですが、時代の流れにより、需要を失い、所有者も少なくなってしまったようです。

そんな貴重な車のオーナーになり、レストランで展示することにより、古き良き時代をオルゴール・手廻しオルガン等と合わせて、ご主人だけでなく、若い世代のお客様にも存在を知ってもらい、新たなコミュニケーションツールに活用していこうと思っています。

描いたレストランの形とは

つるバラで風景を描き、お庭に魔法をかける笹生

つるバラで風景を描き、お庭に魔法をかける笹生

レストラン栗の里は、夢を売るレストラン。

レンガ造りのドイツ山小屋風の外観をはじめ、ローズガーデンや夢のオルゴール夢のオルガンなどのやすらぎを与えられればと思っています。笹生農園の自家生産キヌヒカリ、ハンバーグ等、素材にこだわりぬいた料理。心地よい空間で、ご家族やご友人、親しいお仲間と、美味しい食事をしながら、かけがえのない時間をゆっくりと過ごしていただきたいと思っています。少し日常から離れて、別荘にでも訪れた気分を味わって頂けたら幸いです。

この厚木の地で、営業を続けられているのは、来店してくださっている皆様のおかげです。ありがとうございます。これからも、食やバラ、手廻しオルガン等、五感で楽しめる《エンターテイメントレストラン》として努力してまいりますので、よろしくお願いします。

 

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