ローズガーデンのなりたち
レストラン栗の里に併設されたローズガーデンは、全国花のまちづくりコンクール2期連続入賞・かながわ産業Navi大賞2013地域振興賞・第5回ビジネス・イノベーション・アワード2014優秀賞・第6回かながわ観光大賞優秀賞・27年度かながわ地球環境賞・日本一長いつるバラのカーテン認定と、数々の評価を頂くようになり、年間で約7万人のお客様が来園される観光名所に成長しました。
「どうしてバラを始めたのですか」という質問も多くなり、「常連のお客様や妻の助言で」と答えていましたが、実は、人生の分岐点にもなる出来事があったのです。レストラン栗の里オーナーであり、栗の里ローズガーデンを手がける笹生新の、薔薇との出会い、をご紹介します。
さらなる笑顔を求めて
現在は、2人の息子に恵まれ、幸せの一時を過ごしていますが、私には、もう一人、大事な、大事な、“我が子”がいました。
私が、父親からレストランを引き継いで間もなく、妻との間に新しい命を授かりました。それはもう大喜びし、毎日にやけ顔で過ごし、父親として、オーナーとして、責任の重さを実感し、より一層、仕事に励んでいました。
その頃は、当時では珍しかった“米沢牛”の提供開始、お米のネット販売等、初代と2代目が築き上げてきた歴史を崩さずに、自分の色を追求していた最中で、お客様に喜んでもらえるような「次なる一手」を模索していました。そんな時、妻の両親のある一言に、自分の潜在的な、スイッチが入りました。
「バラでも植えてみたら・・・」
一般的に育てるのが難しいとされる「バラ」で、お庭をいっぱいにして、愛する妻と我が子を出迎えようと必死になりました。
度重なる失敗と、喪失
植物や花に興味があったわけでもないのに、バラの知識もありません。上手く育てられるはずもなく、最初に購入した10鉢のバラは見事に枯らしてしまいました。本に書いてあるとおりに育てたはずなのに、愛情を注ぎ込んだはずなのに、バラは、応えてくれませんでした。それに「レストランの庭をバラ園にするのは非常識だ」などの厳しい声が圧倒的だったのも鮮明に覚えています。
我が子と妻のために、諦めずに続けよう。
妻と我が子が喜べば、きっと、お客様の中にも共感して下さる方がいらっしゃる、そう思っていました。順調と思われていた我が子が、原因不明の病で、突然、この世を去るまでは。妊娠8ヶ月目でした。
「何故だ!!」と、何度も、何度も、何度も考え、悲しみました。何をやっても身が入らない毎日が続き、もはや、生きていく希望を失いかけていました。
そんなある日、その出来事と同時に時間が止まってしまい、中途半端になっていたバラを眺めながら。出迎える我が子を失った今、綺麗さっぱりに元通りのお庭に戻してしまおう」と。心に決めて庭に出たのですが、できませんでした。
愛する我が子を想い、愛する我が子のために育ててきたバラを整理するなんて、できませんでした。今思えば、きっと、我が子が「パパしっかりして、自分はここにいるよ」と心に囁いてくれていたのだろうと思っています。
我が子のための庭を、完成させよう
我が子の存在意義を庭に残そう、そう決断し、自分自身を奮い立たせ、失敗の連続が続いても、あきらめませんでした。
バラに触れることで、我が子に触れているような気がしたからです。
気持ち新たにした時、“今は亡き2人の恩師”と出会うのでした。
村田ばら園との出会い
プロに教わろうと思ったのもこの頃で、バラの生産者の情報を収集し、たどり着いたのが、今は亡き恩師「村田 美行、村田晴夫」兄弟でした。
村田兄弟は、「つるバラの第一人者」として、長く、バラ業界に君臨した伝説の人達です。
このようなトップの方が相手にしてくれるだろうかと不安もありましたが、毎週「村田ばら園」に通うことにしました。当初は、一言、二言の会話でしたが、通い続けて3年。顔を覚えてくれるようになり、次第に、バラの会話が弾んでいったのを昨日のことのように覚えています。
「継続は力なり」という言葉がありますが、バラ園構想から約10年。いつか非常識が常識になると信じ、レストラン経営の傍ら、村田兄弟の教えと独学で学んだ知識を融合しながら、地道なバラ作業を続けました。
開花した成果
周囲の非常識という声が覆る時がきたのが、2012年「第22回全国花のまちづくりコンクール」で奨励賞(2012年)受賞でした。各メディアに取り上げられ、バラ園の知名度が一気に上がり、企業全体のイメージアップにも繋がりました。その後は、バラを付加価値として、数々の賞を頂けるまでに成長し、現在では、100種600株のバラ園になり、バラの最盛期には、約3万人の来場者のある「神奈川のバラの名所」としての役割を担えるレストランになりました。
我が子と2人の師匠の存在継承~次なるステージへ
私にとって、「バラを育てる」ことは、つまり、「“我が子”を育てる」ことと同じ感覚で、「自由に伸び伸び、時には厳しく、適度に管理し、綺麗な花を咲かせる道しるべ」になろうと、そんな風に思っています。
そんな“我が子”が神奈川のバラの名所の仲間入りを果たし、第6回かながわ観光大賞優秀賞という栄えある賞を獲得し、大勢の方々に鑑賞して頂けるようになり、上述したように、「大切に育てた“我が子”が巣立っていくってこんな気持ちなのかな」と、妻とよく話をしています。
“我が子”の存在意義を確立し、“村田兄弟”の「つるバラで風景を描く」意志を継ぎ、「バラで厚木を、神奈川を活性化し、新たな特色を創る」それが、つるバラの貴公子「笹生 新」に与えられた使命なのかもしれない。今はそう思い、いつものようにまた、薔薇と向き合っています。
レストラン栗の里は、各店舗で提供するサービスが全て異なります。